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玉名ラーメン物語 真剣勝負

 「固茹(ゆ)でのめんを食べたいなら出前はお断りだ。店に来て食ってくれ」。 某老舗店。固めに茹でたラ-メンの出前を頼んだ客に、店主はキッパリと答え電話を切ったという。
「ギョウザは置いてないよ。ギョウザ屋じゃないんだから」「気に入った人だけが食べに来てくれればいい」
店主の“もっこす”ぶりを表すエピソードは多い。作り手の自信の表れでもあるのだろう。これに対し、「スープがいつもと違う」「めんを変えたの?」と常連客の反応も鋭い。
 「特に地元のお客さんは味の変化に敏感。少しでも変わるとすぐ指摘がある。常に真剣勝負ですね」とある店主。「子どものころから食べ慣れているから分かるんでしょう」
 玉名出身で神奈川県座間市の納冨裕幸さん(26)は「帰省したら必ず食べる。関東の豚骨とは深みが全然違う」と地元の味が忘れられない。玉名市中の上嶋收さん(68)も「東京にいる娘が帰省したら、必ず一度は家族で食べに行く。どうしても行けない時は出前。玉名ではそういう人も多かですよ」。
 玉名にラーメン店が誕生して50年余。昨年は新たに2軒が開店した。JR玉名駅前に進出したのは久留米系スープ味の「黒龍」。奇しくも熊本ラーメンのルーツとされる「三九」がかつて出店した地だ。豚骨のクセやこってり感はほとんどない新しい味。大牟田市から店を移した小島修さん(55)は「玉名は強豪店ばかり。どこまでやれるか分からないが、挑戦していきたい」。
 温泉街にオープンしたのは「丸幸」。スープには豚骨のほか鶏ガラも使う。「徐々にお客さんも増えている。定着させていきたい」と西阪國行さん(55)。
 ライバルはほかにもある。3年前にラーメン激戦地・玉名に乗り込んだのは讃岐うどん店「多楽福」(繁根木)。自家製手打ちめんが自慢だ。店主・黒木次弘さん(46)=山鹿市出身=は「めんの味が分かる人が多いからこそ、うどん店にも勝機ありと思った」と話す。
 こだわりの店主たちと舌の肥えたファン。玉名ラーメンは磨かれ、日々進化していく。  =終わり
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玉名ラーメン物語 めん

ラーメンの味は、スープとめんのバランスで決まると言われる。「それぞれが良くても、相性が悪ければだめだ」。頑固な店主たちは妥協を許さない。その思いはめん作りの職人も同様だ。
 玉名の老舗店など7軒を含め、30数店にめんをおろす熊本市九品寺の「宮本製麺(めん)所」。創業50年。ラーメン専門だ。
  工場には、生地をのばすための専用ローラーが四基。「4回に分けて圧力をかけることで、コシの強いめんができる。手間はかかるが、この工程は欠かせない」。二代目の宮本尊治(たかはる)さん(48)は言う。
 同社の場合、玉名のラーメン店は熊本などと比べて、一店当たりのめん消費量が多い。熊本の専門店への納入数は一日平均百玉前後。これに対し玉名は150~200玉、多い店は300玉。一玉の量も熊本より15㌘ほど多い130㌘。「うちの商売は玉名で成り立っていると言っても過言ではないですね」
 玉名で唯一、専門店にめんをおろす「吉田製麺所」(高瀬)。店主・吉田征史さん(60)は「コシはもちろんだが、製めん機にある微妙な凸凹でめんが不均一になり、スープがなじみやすい」と工夫を明かす。「人気の玉名ラーメンの一翼を担っているという気概を感じている」
 「玉龍」(岩崎)は玉名では数少ない「卵めん」。荒尾市の業者から仕入れる。通常より一玉十円ほど割高だが、「少々高くてもうまいラーメンを出したい」と五郎丸守さん(65)。
 ゆがき方にもこだわりがある。「ぐつぐつとした大がまの中で、踊らせるようにゆがくとコシのある食感に仕上がる」と「千龍」(高瀬)の中嶋龍一さん(49)ら。平ザルで大がまの中から、手際良くめんをすくい上げ湯切りする。「手間はかかるし、湯切りの見極めとスピードが難しいが、うまいものを食べてもらうため」と「大輪」(中)の坂本章さん(62)。
 極上スープにこだわりのめん。これにチャーシュー、キクラゲ、ノリなどを手際良く載せ、玉名ラーメンが出来上がる。好みに応じ、自家製揚げニンニクチップを店員に振りかけてもらうのが“玉名流”だ。

写真:4基のローラーで圧力をかけて作っためんを持つ宮本さん。スープとのバランスがとれうまいラーメンができる。

玉名ラーメン物語 ライバル

玉名観光協会が3年前から発行している「玉名GOGO(ゴーゴーマップ」。市内の名所旧跡を網羅した観光パンフレットだ。
 この中で「いっこく」(立願寺)「雲龍軒」(山田)「中王」(中)など市内の有名店を紹介したところ「ラーメンマップ」として大評判。休日には、マップを手にした観光客も多い。「市内各所の案内所などに置いているが、市外からの問い合わせもある」(同協会)という。
 熱心なファンに支えられる店は、今日も独自の味を求めしのぎを削る。
 「灰汁(あく)も重要な味。スープの灰汁抜きはしません」。天琴に次ぐ老舗で、創業43年の「桃苑」(繁根木)の井本弘之さん(52)はその秘密を明かす。豚の関節とあばら骨でつくるスープは、それぞれ2時間煮込んだ「一番出し」から「四番出し」まで四種。それを組み合わせて、独特の深みとまろやかさを出す。
 高瀬の飲食店街にある「千龍」は、中嶋龍一さん(49)が、「桃苑」で20年間働いていた母と1979年に開いた。親戚関係の店だ。3時間強火で煮出した塩気の効いたスープに、揚げた白ネギの香りが絶妙。「いくらレシピを教えても、うちの味はマネできない」(龍一さん)と自信をのぞかせる。
 豚骨のクセが特徴の桃苑や千龍、天琴などに対し、それをほとんど感じないのが「博竜」(立願寺)。82年、渡辺章さん(50)が温泉街の一角で始めた。「だしは豚の頭骨だけ。最初の2時間煮込んた湯は全部捨て、一から煮込み直すことで臭みが消える」という。 「玉龍」(岩崎)も豚の頭だけを使ったスープだが、「うちは体重が50㌔程度の若い豚だけ」とは店主の五郎丸守さん(65)。71年にオープンだ。食べた後、独特の丸み、甘みが残る。
 店はそれぞれ個性を競い、独自の味を求める。それに応えるように客の側もそれぞれひいきの店を持つ。
 市職員の中林貴子さん(36)は「小さい時はファミリーレストランも少なく、家族で外食と言えばラーメンだった。そのせいか今も親せきの子たちとよく行きますね」。どの店も、家族連れが多いのも玉名の特徴だ。

写真:夕食時、若者など多くの客でにぎわう玉名市の専門店。家族連れの多いのも特徴だ。

玉名ラーメン物語 老舗

玉名市の中心部・高瀬を貫く国道208号に面した「天琴」。休日の昼時ともなると県内外のファンらが行列をつくる。来年で創業50年を迎える玉名一の老舗だ。玉名ラーメンは、今も厨房(ちゅうぼう)に立つ店主・中村敏郎さん(70)抜きに語れない。
 中村さんがこの道に入ったのは中学を卒業して間もなく。同級生の家に遊びに行ったことがきっかけだった。国鉄高瀬駅(現JR玉名駅)前にあったその家こそ、珍しい豚骨スープで評判を呼んでいた「三九」だった。
 「戦後の混乱期で仕事もろくにない時代。働けるだけでうれしかった」。長崎・島原出身の中村少年は住み込みで、スープづくりや出前、掃除など、何でもこなしながらラーメンを学んだ。
 中村さんはその後、数軒で経験を積み、1957(昭和32)年、二十歳で知人と「天琴」を創業。3年後に現在地で独立した。
 しかし、当時の玉名には既に数軒、三九の影響を受けた豚骨ラーメン店があった。“新参者”の中村さんは、だしに必要な豚の骨さえ売ってもらえなかったという。
 仕方なく二日に一度、単車を飛ばし、大牟田からフェリーで故郷の島原に渡った。知人の肉屋を訪ねて豚の骨を集めるためだった。
 「バイクに積めるだけ積んで翌朝、玉名に戻り店を開けていた。悔しい思いをしたこともあったが、見返してやるという気持ちで働いた」。穏やかな表情の中に時折のぞく厳しい目。そのころの苦労を物語るようだ。
 天琴のメニューはラーメンとご飯、ビールのみ。簡素な品書きが頑固さを表す。ラードが効いたスープはこってりして奥が深く、多くのファンを引きつける。
 天琴で13年修業した坂本章さん(62)が、83年に開いたのが「大輪」(中)。半日煮込んだスープにごま油を加え、コクを変えずにすっきり仕上げる。黄金色のスープは、脂っこさもそう感じない。
 「来々軒」(亀甲)は57年創業。店主の松本哲哉さん(45)は二代目で、かつて天琴に出入りしていた祖母から作り方を習った。「毎日同じ味を作るのが大変。発見と勉強の毎日です」

写真:乗降客でにぎわう「昭和20年代の国鉄高瀬駅前付近。写真左側の方に「三九」があった。=「ふるさと玉名写真集」より

玉名ラーメン物語 草創期

濃厚な豚骨味が人気の熊本ラーメン。そのルーツは玉名にあると言われる。市内の専門店はいずれもレベルが高く、ファンの胃袋をつかんで放さない。頑固に味を追い求める各店の自慢の一杯を食べ、玉名ラーメンの魅力を探った。(武田愛一郎)
 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 
 玉名市には、中心部だけでも十数軒の専門店がひしめく。昼時や休日、長い行列ができる所も少なくないが、その始まりは、一軒の小さな中華そば店だった。1952(昭和27)年、当時の国鉄高瀬駅(現JR玉名駅前に、中華そば専門店「三九」がオープンした。福岡・久留米市で繁盛していた屋台ラーメンで、玉名への出店は、その味にほれた知人が熱心に誘ったからだったという。
 麺(めん)と言えば、うどんやそばが主流だった当時、豚の骨を煮詰めた白濁スープの濃厚な味は新鮮。評判はすぐに広がった。バラック建ての店は、連日大勢の客でにぎわったという。
 「三九」は現在、佐賀市に本店を移し営業を続ける。店主・四ケ所日出光さん(77)は、当時の玉名店を懐かしむように話す。「50円もあれば食えるラーメンは人気。いすが店外まではみ出すこともあった」。自家製めんを運び込むため、ほぼ毎日、単車で久留米まで往復した。
 開店間もなく、「玉名にうまい食べ物がある」と聞いた青年3人が熊本市からやって来た。その中の一人、山中安敏さん(故人)は初めての味に感激。試行錯誤でスープを作り、2年後に「こむらさき」を創業する。一緒に行った重光孝治さん(同)は「味千」、木村一さん(82)=菊池郡菊陽町=は「松葉軒」(同市で別人経営)を立ち上げた。熊本ラーメンのルーツとされる。
 「おやじたちが玉名に行ってなければ、熊本ラーメンの歴史も変わっていたかも」と山中さんの息子で、こむらさき(上林町)二代目の禅(しづか)さん(52)。
 佐賀の三九は、15人も入れば満席になる小さな店構え。四ケ所さんは「味はほとほとんど変えていない」と話す。もちもちした食感のめんとコクのあるスープは熊本ラーメンとは違うが、どことなく懐かしい味だ。
 「三九」はわずか3、4年で玉名店をたたむが、大きな“足跡”を残した。同店に住み込み、ラーメン作りの腕を磨く十代の少年がいた。玉名市高瀬の老舗「天琴」の店主・中村敏郎さん(70)だった。

写真:玉名や熊本ラーメンに影響を与えた中華そば「三九」の四ケ所日出光さん。佐賀市の店は今も人気だ。
プロフィール
主に福岡地方(福岡市、筑後方面)の麺主力の食べ歩きのブログです。

あたし

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